Remember today

忘れないためにも、あの時のエントリをもう一度貼っておきます

「あの瞬間」

一年経ちました

地震後すぐに実家のiMacにiChat(FaceTime)で接続し、電話が全く通じない中でその後の2日間ずっとディスプレイを通じて母とお互いの姿を見ながら過ごすことができました

最も身近である奥さんが鉄道の影響で深夜に帰宅するまで途切れ途切れに携帯メッセージをやりとりすることしかできなかったことを思うと、IT技術が果たす役割はますます大きいと感じます

8件のコメント

  1. 「あの瞬間」読んで涙出てきました。
    あんな大きな地震二度と起こってほしく無いです。
    ほ〜っ、iChatいいですね〜!私はひたすらE-mailで連絡とってました。
    ウチのネット環境、ケーブル解約してWiMAXに
    変えようかなとも思ったんですが非常時に使えないかもなので悩み中です。

  2. あの大地震から一年・・・長いような、短いような一年でした。
    地震前の生活に戻ったようでもありますが、
    大きな被害を受けなかった私でさえ、時折涙がでてきます・・・
    地震発生時のことは数日前にツイートしましたが、
    地震前後の数ヶ月の記憶は曖昧なまま、今まできました。
    あの時、東北ではしばらく停電が続き、
    我が家では4日程度情報源はラジオと新聞(あの大混乱でも配達!)でした。
    携帯電話も基地局のバッテリーが切れた模様で不通が数日間続き、
    地震発生直後にかろうじて発信できたメールで
    実家や遠方に住んでいる親戚に無事を知らせた程度で、
    「災害に備えよ」と判っていても出来ていなかったことを痛感しました。
    内陸部に住む私にとって沿岸部を襲った津波の真の恐怖は計りしれません。
    が、今は映像という新しい記録媒体によって共有できるようになりました。
    生きていく上で、自然災害とは無関係ではいられません。
    でも、どれだけその災害からの被害を最小に止められるかがカギを握っています。
    今回の震災では、様々な情報が寒さや飢えから人々を救い、
    人の温かさが私たちを孤独や絶望から守ってくれました。
    私たちは忘れません。
    そして、いつか、このご恩返しが出来ることを信じて踏ん張っていきます。

  3. Jill Miaさん
    私もJill Miaさんもある意味ご近所みたいな距離に住んでいる同士ですが、東京でさえあの揺れだったのですから被災地は如何ばかりかと考えてしまいます。
    インターネットによって昔では不可能だったことも実現している一方、通信インフラに限らず電力が供給されていなければ役に立たない技術であるということは忘れてはいけませんね。ではどうするか、への答えはなかなか見つけられません。

  4. 寒しじみさん
    ここ数日のツイートを読ませていただいて、生々しい時間経過を共有させてもらいました。もちろん想像の域は出ませんが、内陸部にお住まいだったことも含め寒しじみさんご一家がご無事だったことに安堵しつつも、沿岸部で被災された皆さんに思いを馳せると現実に起こった不条理に言葉がありません。
    午後2時46分、黙祷を捧げたいと思います。

  5. これからが勝負です。
    阪神淡路は、数年経ったら「兵庫県内のローカル話題」になってしまいました。
    細く長く。永く。ですね。

  6. ラミーさん
    阪神淡路のことを忘れていたんですよね。
    あの後も東北を訪れたりされてるラミーさんがツイートされていた、「岡山の人たちの多くが地震と放射能が怖いので東京に行くのも遠慮してる」という件は割とショックでしたね。
    それを思うと、海外の人たちが持っている印象はどうなのか見当もつきません。
    ここからはレスではなく日頃思っていることを書きます。
    相変わらず毎日のように起きる地震、遅々として進まない原発由来の処理問題、自分たちの保身に精一杯な政治家の皆さんの活躍ぶり・・・
    あえて主張させていただくと、私は孫さんを全面的に肯定するつもりはありませんが、経団連のおじじ達が何が何でも原発を再稼働させたがっているのを見て、この国を代表する大企業のエライ人々が国全体を覆う未曾有の危機に対して自らの利益しか守るものはないのか、とずっと疑問に思ってきました。
    立派な肩書きの範囲では業界・会社・社員などステイクホルダーの利益を最優先させるべきでしょう。
    そうでなくても経済がこんなでは舵取りが難しいのは当然です。
    しかし、一個人としての人としての考え方は例えば民主党の政治家たちを蔑んでエヘン、オホンと言ってられるんでしょうか。無償の貢献をしろとか、タイガーマスクになれと言うつもりはありませんが、う〜んあんまり社会のために立ち上がる人っていないなぁ、何だかつまらない人たちだなぁという感想を持ってしまいます。某会長さんの容貌や話しぶりを見ていると、余計に立派な人ってなんだろう、と思わずにはいられません。
    欧米の方がいいと言っているわけではないですが、「持てる者がやらない」社会に写ります。
    うまく表現できないんですが、今年になって強く感じます。
    ラミーさんへのレスなのにおバカな能書きをたれてすみません。

  7. ここ何日か「あの日から一年」がテーマの番組ばかりでしたが、いろいろなブログを観ると「見ません」「見たくない」と書かれている人が意外に多かったです。それだけ心の傷が深いということなのだろうと胸が締め付けられる思いです。
    私は東北からは相当離れたところに住んでいますが、それでも(ちょうどスーパーにいました)目まいが起きたかと思うほど、ゆらゆら、ぐらんぐらんと延々店が揺れ続けていて、店員が「地震です。皆さん動かないで、棚から離れてください!」と叫び続けていました。
    小額ではありますが、寄付や物資の協力はし続けています。
    「地震がなければ」「津波が来なければ」「原発があんなにならなければ」と言いたい気持ちはいっぱいですが、起きたことよりもこれからを生きるために、同じ日本人として決して忘れずに支援し続けたいと思っています。

  8. hanaさん
    津波の映像は被災してない者が見てもショッキングですからね。
    昨日のTV番組で気仙沼の川を遡る津波を興味半分で撮っていたおじさんが出てましたが、
    本当の津波被害から長い月日の間に『どうせ大したことないよ』とナメていたと。
    これまで地震情報で「念のため津波に注意してください」→「津波の心配はありません」
    の繰り返しに、『仮に来たとしても被害がでるほどではない』
    と思ってたのはこのおじさんだけはないでしょう。
    あのインド洋の津波の時もみんな他人事として見ていたんですね。

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