初代モモコのこと

このところ夜遅くに帰ることが何日か続き、日付が変わってから家に入ると、居ました・・・ボギー大佐。直前まで寝ていたのが見え見えの顔つきでお迎えです。とっても嬉しいのですが、疲れ切っているところにじゃれまくられて微妙に 6:4 くらいで迷惑なものの、はしゃいでいる姿には苦笑するしかありません。

そのうちにモモコ、そしてハナも二階から降りてきて「何か喰わないのか?」と言っているに違いない眼差しを投げかけてきます。3匹の期待を一身に受けても深夜なのでせいぜい缶ビールを飲むくらいですが、その間も全員の視線を浴びながらなので実に落ち着きません。

お出迎えで思い出すのが初代モモコのことです。

25年ほど前、当時住んでいたアパートの前に深夜車を止めると、二階の一室からキッチンの小窓を自分で開けて初代が階段を下りてきたものです。当時はお店をやっていたのでいつも帰りは午前2時頃でしたが、彼はエンジンの音を覚えていてほとんどの場合は駐車したのと同時にボンネットへ上がり、二階への外階段を今度は自分が先行して上がって行きます。毎晩当たり前の光景だったことですが今思うと感慨深いものです。初代はそれこそ大佐と同じくらいパワフルなネコで、アパートが通りから一本奥まった静かな場所だったこともあり、今とは違って比較的安全に半外ネコ生活を送っていました。

はす向かいのお宅にヒマラヤンのケンちゃんというネコが居て、この子も外に出てきては地面に付きそうなフサフサのお腹の毛を棚引かせて歩いていました。初代とケンちゃんが近くにいるところは見ませんでしたが、おそらく夜の会合には同席していたのだと思います。あの頃はのどかで現状の外ネコの悲惨さとは無縁の世界でした。普通に発情期の季節が来ると鳴き声が聞こえましたが、ご近所の方々も大らかで昭和の時代の良さが残っていたんでしょうね。来る日も来る日も穏やかな暮らしが続いていました。

私たちが泊まりがけで出掛ける時は、隣に住んでいた焼き鳥屋の板前さんに一声掛けると喜んでゴハンの世話をしてくれました。よくなついていて、おそらく普段も部屋に遊びに行っていたようです。こんなことも今では考えられないことです。

その時もそんな中の一コマという感じで、2〜3日家を空けるため出掛けたのですが、帰宅してからもなかなか戻って来ないので心配になって翌日探し始めました。1日くらい戻って来ないのはよくあったので、「そのうち帰ってくるさ」と構えていましたが、一向に姿を現しません。近くで事故があったという話も耳にせず、時間があれば名前を呼んで探しました。しかし、5日、一週間と音沙汰がなく結局そのまま初代が家に戻ってくることはありませんでした。板さんも、「ゴハンは普通に食べてけどなぁ」と、いつもと変わらなかった様子を話してくれました。

当時4歳の初代でしたが、私たちの記憶には永遠に残るであろう記念すべき最初の飼いネコでした。

2件のコメント

  1. 昔はそんな感じでしたね。
    子供の頃飼っていた猫も自由に外出していました。
    子猫が産まれて4匹の猫がいたのですが、いつの間にか1匹だけいなくなっていました。
    まだ母猫から離れる事をしない時期だったので家族全員でそこらじゅう探しまくりましたが、みつかりませんでした。
    しばらくしていなくなった子猫はよそのお宅で飼われている事がわかり少し安心したのですが、勝手に連れて行かれたのが悲しかったです。
    首輪もしていたのでね。
    人懐こい猫だとつい連れて帰りたくなってしまうのでしょうね、今なら飼い主発見が優先されるのでしょうね。

  2. namiさん
    ネコの場合、人によってもの凄く懐いてしまうのってありますよね。
    初代の時は虐められた気配もなく、近所にも玄関先に水の入ったペットボトルを置いてたりする家もありませんでした。
    おそらく周りからも良くしてもらっていたんだろうと思います。
    でも、首輪もあるのに勝手に連れて行っちゃうのは悲しくなりますね。

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