ニューオリンズの想い出

とうとうやってきました、夏と梅雨がほとんど一緒に。日本のこの時期は見事にムシムシした気候になりますね。動かなくてもジットリとした汗が出ます。

私は海外は北米専門でアメリカ合衆国しか知りませんが、この季節が来るとニューオリンズの気候を思い出します。縁あって合衆国の中でも彼の地にはかなり行きました。もう10年以上訪れていませんが、5年前にカトリーナというハリケーンが襲ってからはあの壊滅的な被害がどのくらい復旧したのか、この目で確認していないためずっと心配でした。かつて10数回は訪れ、個人的には最も馴染み深い異国の地といえます。今回はこの街のお話をしましょう。

私が最初に訪れたのは、25年ほど前でした。当時はまだ日本から訪れる日本人も少なく、街中で見かけることもほとんどありませんでした。この街はその数年前までバスに乗るにも白人と黒人の区別があったくらいで、その当時も微妙に白人優位な雰囲気は残っていた記憶があります。ご存じない方に申し上げると人種主義(racism)の根拠は、いかに「白人が優れているか」という価値観を特に植民地の住民に知らしめるという「優生学」から発しており、アメリカ南部諸州では黒人に限らず黄、赤と何であれ有色人種は全部一緒である、という乱暴な考え方が脈々と白人の間で受け継がれてきた背景があります。

実際に田舎へ行くと白人の住民からは珍しいのか、奇異な目で見られることもしばしばでした。一度受け入れらさえすればサザン・ホスピタリティと呼ばれる温かい「もてなし」につながるのですが、この雰囲気に慣れるまでは結構困惑しました。おまけに、ある時パーティに呼ばれた時に友人である白人の淑女から「今から行く場所にはかなり年配の人たちがいて、真珠湾攻撃の時のことは未だにナーバスなので気を付けてね」と真顔でアドバイスされたこともあります。実際、これらの経験は私のアメリカ人への接し方のルーツになっています。

さて、ニューオリンズは18世紀初頭からフランス、スペイン、フランス、アメリカと持ち主が次々に変わった街ですが、地名のほとんどがフランス系にもかかわらず建物はスペインの様式を残していて、大変異国情緒あふれる街です。とはいっても観光で動き回れるのはフレンチクォーターと呼ばれる一角を中心にしたごく僅かな範囲で、ここから外れた場所については一人でフラフラ歩くのは非常に危険なため、注意する必要があります。全米の他の都市に比べても危険度は高いです。このあたりは現在W杯が行われている南アフリカのヨハネスブルクに通じるものがありますね。

ネコの話の合間に少しづつこうした話題をエントリしていきたいと思います。長くなるので続きはまた次回…

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