ファウンダーのこと

なかなか面白い話とかありません。相変わらず景気に関しても悪い話題が飛び交い、原発の処理も遅々として進まないし、何より被災地の方々を明るくさせる報道もない、八方塞がりの日々です。

我が家のニャンズは、ぼぎが絶叫するのに加え、ハナも夜明け前から叫び始めるようになりました。ハナは甘え方が過激になってやたらと鳴きながら体をすり寄せてくるし、むしろぼぎの方が叫んでいる以外は大人しくしているくらいです。一体どうなっちゃんたんだと思います。

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先日、先代モモコのエントリをアップしましたが、今日は一代目(初代)モモコの話をしましょう。
初代モモコは、今から26年くらい前にノラだった子を拾って育て始めたネコです。バブルが始まるさらに前の1980年代中頃のことです。その頃住んでいたアパートから間もなく引っ越しをして、先代の写真に写っていたおんぼろアパートへ移り、新しい場所で生活を始めたわけです。初代は今のぼぎのように好奇心も食欲も旺盛、半外というよりはクォーター・ウチくらいの割合で表に出ていたのですが、当時は長閑なもので階下の人も今と違ってペット可などあり得ないアパートなのに文句一つ言わずに付き合ってもらっていたし、車が通る道路から一本引っ込んだ住宅地だったことも幸いして、のびのびと暮らせる環境でした。

あの頃は路上駐車の取り締まりもムチャクチャゆるい時代で、私は当たり前のようにアパート前の坂道の路上を駐車場にしていました。ちなみに東京都下の話です。帰宅時はいつも同じところに駐車。しかし、家の中にいる初代モモコは車の音が聞こえ始めると前もって必ず台所の小窓から飛び出してきて、鉄筋の階段をスタスタ駆け下りたと思うと停車するのを待つのももどかしく、自動車のボンネットの上に乗って運転席を眺めます。ドアを開けて降りると今度は先導するように階段を駆け上り私が部屋のドアを開けるのを待って、何だか誇らしげに部屋に入っていくのです。その時の姿を今でもハッキリ思い出すことができます。そのたびに嬉しくて仕事の疲れが飛んでいきました。

その反面食い意地は凄まじく、人が部屋で食事をする時もテーブルに乗ってくるなんてのは序の口で、結局その手の躾はほとんどできませんでした。人間の食事の時はわざと外に出してその隙にと思っても、締め切っているにも拘わらずスゴいスピードでアパートの周りを半周し、玄関とは反対側の窓の向こうから大騒ぎする有り様。ワイルドでした。

二階の部屋だったのですが、お隣に一番鶏という居酒屋に勤めるおじさんが住んでいて、とてもネコ好きな人でした。ちょっと数日部屋を留守にするような時は、お願いすると「いいよ、見ててあげるから行っといで」とゴハンの世話を買って出てくれたりしてとても助かりました。いい時代でした。

ある日、数日出掛けなければならなくなり、おじさんに声をかけて缶詰を渡し留守にしました。3日後に帰ってくるとモモコの姿がありません。近所を探し回りましたが見つかりませんでした。おじさんに聞くと最初はゴハンを食べに来ていたのが前日から来なくなったとのこと。部屋の窓にはロックせず自由に出入りできるようにしてあったのですが、いつものところに寝た跡はあるものの姿がありません。「そのうち戻ってくるだろう」と構えていても心配であちこち探し回りましたが戻ってくる気配がないのです。

結局、確か4歳くらいだったと思いますが、初代モモコが戻ることは二度とありませんでした。しばらく呆然とした日々を過ごすことを余儀なくされました。病気で死んでしまった先代に比べると衝撃の大きさは比べられませんが、心にぽっかりと穴が開いてしまうような空虚さに襲われました。

彼はどうなったのか、未だにわかりません。もしかしたら誰かが連れて行ってしまったのかもしれません。留守にしたのがいけなかったと言われればそうなのかもしれません。でも、それまでの楽しかった日々を忘れることもまたありません。

時代は変わり、屋外がネコたちにとって想像以上に危険な空間になりました。それでも、当時の半外ネコたちが自由闊達に暮らしていた時代は、もしかしたらとても当たり前な世界だったのかもしれません。

2件のコメント

  1. 保坂和志さんの本の世界みたい
    一時期、凝って読んでました。
    その頃の方が、人も猫も自然にしあわせだったような気がします。

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