大いなる時の流れ

年が明けてから実家に帰ったら、相変わらず無駄に風が吹く時間が多いところだなあという印象です。

母が飼っているクロは半外ネコなので、トイレはすべて屋外、食う寝る所は家の中という老ネコ。
最近はあちこちにガタが来ているようですが、猫生のすべてを母に捧げているかのごとく、常にベッタリとくっついています。

昨年の震災以来、より不透明になったこの国の未来のことなどを母と話しているうちに、おもむろに昔の写真を引っ張りだしてきたので見てみると、初めてお目にかかるものが沢山ありました。

 

 

Showa17nen

 

この写真は、おそらく昭和17年頃のものと思われます。
右側で満面の笑みをたたえた少女が私の母です。たぶん5歳くらい。
左は彼女の父親、私にとっては祖父です。出征の前ではないか、ということです。

幸い祖父は無事に帰還し、その後ずっと元気に働き続け、85歳の天寿を全うしました。

母はこの写真の正確な場所や時間が思い出せないようですが、あの当時これほど無邪気な笑顔を記録できたのはどうして、という問いに対しては答えが見つからないようでした。

NHKの現在の朝ドラ「カーネーション」で描かれている時代に重なるこの写真には、多感な少女時代に惨たらしい戦火の中くぐり抜け、今に至るまでの長い年月を経てきた名も無き一人の人間が語る歴史の一片が表現されているような気がしてなりません。

わかったような心持ちで戦争や震災を語ることではなく、人間の営みにとって何が大事なのかを考えるきっかけを与えられた出来事でした。

4件のコメント

  1. 私事ですが私の両親は昭和17年生まれです。幼少時の記憶は「物が無い時代」だそうです。幸い両親共に農村で生まれ育ったので食べ物には事欠かなかったようですが、地方の小さな町では戦後復興の波は小さく、貧しさから脱却するにはかなり時間がかかったようです。
    戦中から戦後の話を聞こうとすると大正生まれは口が重くなり、昭和生まれはいくらか話してくれます。大正生まれで戦争未亡人になった祖母にとっては辛い記憶が刻み込まれた時代です。
    私自身、地震や原発事故を経験してみて、自分で遭遇しないと判らないことは山ほどあるのだと実感したのと同時に、
    人の心の冷たさや温かさ、優しさをも痛感したのもこの震災の収穫のひとつなのかもしれません。
    乱文失礼しました。

  2. 寒しじみさん
    東京などの主要都市だけでなく、北関東の田舎まで空襲があり、母も上の写真から何年も経たずに防空壕の近くで近所のおばさんが機銃掃射によって蜂の巣にされてしまうのを見たそうです。
    そういう歴史を経たのち、戦争も知らない、大地震の被災もしていない平和ボケの私たちが、世の中が悪いとか政治家がバカだとか何もせずに勝手なことばかり言っているわけです。

  3. 昔話聞くの大好きなので、しみじみと読ませて頂きました。
    出征前...胸中は複雑だったでしょうけれど、お二人ともいい笑顔ですね。お母さん、ワカメちゃんカットでかわいい!
    修羅場をくぐり抜けて来られてここまで日本を復興させて下さり本当にありがとうございます。
    まさに平和ボケ世代の私たち、、Cat’s-pawさんのコメント最後の3行、耳が痛いです(汗)
    クロちゃんお母さん子なんですね〜。自由にのびのびと、いい環境でこれからも長生きして下さい☆

  4. Jill Miaさん
    時々こうしたものを目にし、先日指導者が替わった某国とか内戦の続くアフリカ諸国とか、世界を見回して自分たちは何と恵まれた生活をしてきたんだろう、と感謝と共に懺悔したくなります。
    全然当たり前ではないのだと改めて自戒します。

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